【第2子妊活】流産手術の痛みは?費用は?
心拍確認後の11週稽留流産宣告
2023年2月に経験した11週稽留流産の記録を、このブログで書いてきました。11週での流産となってしまったこの妊娠ですが、判定日はHCG480と良い数字での陽性、その後の経過もすべて順調でした。それが、クリニック卒業の翌週、初の妊婦検診でまさかの心拍停止。稽留流産宣告となりました。
稽留流産を宣告された後、手術予定日までの自宅待機中に前日にまさかのコロナ陽性で、手術が2週間近く延期になるというハプニングもあり…
やっと2週間近い幽閉期間を終えて、流産手術の日を迎えました。この記事では、その手術の記憶を記録しておきたいと思います。似たような状況の方がいたら、参考になることもあるかもしれませんし、私自身も、ブログに書くことで心の整理になりました。
吸引法での流産手術の痛みは?
私の病院では、吸引法をとっており、麻酔は使用するけど、完全に意識を消してくれるわけではない…痛みもある程度は感じる状態での手術でした。
事前に病院から受けていた説明については、こちらの記事に詳しく記載していますが、寝ている間に終わる手術ではないということに恐怖を感じていました。
心拍停止後も残る悪阻が苦しくて、早く手術はしたい…でも、どれくらいの痛みが残るのかが不安…という生殺しが2週間近く続く状態でした。
結論から言うと、意識が残る状態の緩やかな静脈麻酔下での流産手術(吸引法)は、確かに痛みは感じました。でも、耐えられないほどの痛みではなく、また、麻酔から覚めた時には痛みの記憶もぼんやりとしていたので、きつかったという感覚はありません。
2週間近く生殺し状態でおびえていたころの自分に、「大丈夫だよ、そんなに痛くないから」と言ってあげたいです(個人的には、採卵で麻酔が効かなかった事件のほうが痛みのトラウマ度は高いです(;^ω^))。
流産手術前日(入院日)
病室は個室という配慮に感動
2023年2月13日(月)手術前の準備のために、入院しました。病室は個室で、病棟の奥の方の部屋でした。シャワーやトイレも部屋についていて、他の妊産婦さんをなるべく見なくて済むように配慮されていました。
給湯室にお茶をくみにいったり、自動販売機でジュースを買う場合も、他の妊産婦さんを見るの辛いだろうから、無理せず、看護師に申し付けてくださいと言ってくださいました。
私自身は、2年前に第1子を出産した病院でもあったので、その時の思い出もあり、他の妊産婦さんや生まれたての新生児を見て辛くなるというよりは、暖かい気持ちになるほうが強かったので、給湯室や自販機には自分で行きました。でも、大学病院と言う急患も多くてバタついてる病院なのに、細やかな部分まで気を配ってくれて、すごいなぁと感動しました。
そして、生まれたての新生児たちの泣き声を聞いて、あぁ、やっぱり赤ちゃんほしいなぁ、もう一人、どうしても産みたいなぁと思いました。
ラミナリアは意外と痛くなかった
入院後、しばらくしたら、診察がありました。内診し、ラミナリアという子宮口を広げる棒を1本、お股からいれました。
ネット情報だと、ラミナリアを入れるのは痛いと書かれていたのですが、1本だけだったからか、そんなに痛くはありませんでした。ただ、入れる瞬間は、子宮口をピンセット?でつままれる感じが、気持ち悪かったのを覚えています。
出産や、もっと週数が進んでからの後期流産や死産の場合は、赤ちゃんが大きいので、子宮口をもっと広げる必要があり何本もラミナリアを入れるみたいです。本数が多いと、痛みも強くなるでしょうし、経産婦かどうかによっても、痛みの感じ方に違いはあるかもしれません。
ラミナリアを入れた後は、生理痛のような、ずーんと重たいようなじんわりと痛いような感覚がありました。これは、温めると楽になる、と、事前に後期流産経験者の友人から聞いていたので、看護師さんにお願いして、ホットパックをもってきてもらい、お腹や背中にあてました。
ホットパックで温めると、本当に痛みが楽になりました(生理痛の時と同じ感じです)。個室なので、夕方以降は、のんびりとスマホで動画を見たり、SNSで流産経験者の体験談を読んだりしながら、ゆったりと過ごしました。
まだ悪阻はうっすらと残っていたのですが、コロナで2週間近く自宅待機している間に、多少はマシになっていたので、夕飯も完食できてしまいました(笑)。空腹だと吐き気がでてしまうので、なんなら、おやつも持ち込んでいました(;^ω^)
もちろん、悲しい入院ではありましたが、2週間近い手術延期で早く悪阻から完全開放されたい気持ちが強くなっていたからか、不思議と悲壮感はなく、病室でも淡々と過ごしていました。
夜中に聞こえた女性の泣き声
しかし、消灯後、そろそろ寝ようかなという時になって、廊下の方から女性のむせび泣くような声が聞こえてきました。おそらく、向かいの病室の方で、私と似たような理由で入院している方なのだろうと感じるような、魂の叫びのような泣き声でした。
その方がどんな状況での入院なのかはわかりませんでしたが、悲しみに満ちた泣き声から察するに、おそらく週数もだいぶ進んでいたのかな…もちろんどの週数でも辛いけど、週数が進めば進むほど心身の負担は大きいよね…コロナ渦で付き添いやお見舞いも禁止の中、一人で絶望を受け止めているのかな…と、いろいろと考えてしまいました。
新たな命の誕生の横で、絶望に涙する人がいる、、、本当に産婦人科っていろんな感情があるところだなぁ、と、胸が痛くなりました。
流産手術当日(痛みよりも大変だったのは…)
大学病院名物?手術の見学者
手術当日は、朝食は抜きで、午前中のうちに手術室(というか分娩室)に入りました。
第1子の出産のときもそうだったので、覚悟はしていましたが、医学生っぽい人と、研修医っぽい人の見学がいました(;^ω^)さすが、大学病院(;^ω^)
出産の時は、陣痛でわけがわからない状態の時にたくさん人が入ってきたなという感じだったので、あまり気になりませんでしたが、この時は、意識がはっきりしているので、「えー?そんな下からがっつり見学するんですか、、、丸見えじゃないですか(;^ω^)」とは思いました。
まぁ、医学の発展のためには仕方ないし、手術の様子を学ぶためには、産道が見えないと意味ないもんね…あ、もしかしたら、経産婦だから医学生の見学入れてる?さすがに出産経験ない人にこれはちょっと可哀そうなのでは?(;^ω^)なんてことを考えているうちに、麻酔が入りました。
麻酔で手術の痛みはどれくらい消えた?
麻酔が入ってからは、ぼ~っとしていましたが、確かに、何をしているかはわかる程度に意識がありました。まず、昨晩入れたラミナリアを取り、何か器具をいれられるとき、痛いという感覚があり、「痛!」とアピールしましたが、無視して続けられました(´;ω;`)ウゥゥ
意識低下がリスクになるから、多少の痛みがあっても麻酔は追加しませんよってことだな、とは思いつつも、それなりに痛みがあるので、早くおわってくれーと思っていたのは覚えています。が、実際にどんな痛みだったのかとかは、麻酔から覚めた時には覚えていませんでした。
なので、それなりに痛みは感じたけど、トラウマになるほどではなかったな…という感想です。
器具を入れた後、手動のポンプでお腹の中を吸引するのも、なんとなくわかりました。吸引する時に痛いなと何回か感じ、そのたびに「痛!」と小さくアピールはしましたが、淡々と手術は進みました。何回か吸引したあと、ドロッと血がたくさん出る感覚があり、あぁ、今、赤ちゃんが出たんだな、という感覚もわかりました。
11週なので、赤ちゃんの身長は3センチ程と小さいとは思いますが、何か塊がでたのもわかり、少し切ない気持ちと、ああ、これで終わったという安心感が入り混じっていました。
問題は、赤ちゃんが出た後だった
ところが、赤ちゃんが出たなという感覚があった後、急に手術室が騒がしくなりました。
右側にいた看護師が、慌ててもう一本点滴用の針を刺そうとするものの、何回か刺してもなかなか血管をとらえきれず、研修医っぽい人に、「お願いします!}と言って、「え?あ、はい」というやり取りが聞こえて。
左側では、他の看護師が慌てて私に酸素マスクをつけている。あれ?なんか、次々とスタッフが入ってくる…
「あれ?これは、出産のときにもあったぞ…もしかして、また大量出血か?ただでさえ看護師泣かせの私の血管は、血がたくさん出ると、ますます見えなくなって、とらえずらいと出産のときも看護師が焦っていたんだよなぁ、、、」と、呑気に回想していると、お股側から、見覚えのあるお医者さんが入ってきました…
「あー、この熊さんのようなフォルムの先生は、K先生だよなぁ。第1子の時に、何回か検診担当してくれたし、破水で入院した夜もこの先生が当直だったよなぁ。産んだ日も朝はこの先生が担当だったよなぁ。あれ?でも、なんか、雰囲気かわった?こんなオシャレパーマなんかかけてた?茶髪になってるし…あれ?こんなオシャレ熊さんだったっけ???え?イメチェン??」
なんて、どうでもいいことを考えながら、先生の胸元の名札をみて「あ、やっぱり、K先生だな」と確認していました(麻酔がきいていて、しかも大量出血で意識遠のき始めているわりには、めっちゃ意識鮮明にどうでもいいことを確認しているというw)が、周りの医師や看護師が冷静を装いながらも、ちょっと焦っている感は伝わってきました(;^ω^)
まぁ、でも、出産のとき、2リットルの大量出血したけど、輸血無しで回復したしね、、、なんて楽観的に考えていると、K先生が「スタッフへの連絡ちゃんといってる?これ、もっと人飛んでこないといけない状況だと思うけど」と、冷静なトーンですごいことを言っているのが聞こえて。
「これは、もしかして、私、やばい状況なのかしら…(;^ω^)」と、自分の左側にあるモニターをみたら、血圧が上60台、下40台に下がっているのを確認「あ、でも、2リットル出た時は、確か、もっと血圧下がってたから、それよりは大丈夫そうだな」と気持ちを立て直し…(←今考えたら、全然大丈夫じゃないんだけど)
そんなこんなしているうちに、止血できたみたいで、だんだん手術室が落ち着きを取り戻していました(;^ω^)
1リットル以上の大量出血だった
無事、止血できて、だんだんスタッフもひいていき、しばらくしたら、主治医の先生が枕元にきて説明してくれました。
「ぱんださん、大丈夫ですか?今、ちょっと出血が多かったので、たくさんスタッフ来てビックリしちゃいましたよね」と、状況を説明され、ああ、やっぱり、また大量出血だったか、と思いながら、「結構、出ましたか?」と聞いたら、「はい、1300mlくらい出ました」と。
出産時に2リットルの出血があった後の説明で、
- 通常の人なら、1リットルの出血は致死量である
- 妊婦さんの場合は大量出血に備えて身体の血液量が増えているから直ちに致死量とはならない場合もある
- 私の場合、出産で2リットルでてるので、結構やばかった⇒ギリギリ大丈夫だったけど、もう少し出ていたら輸血が必要だった
と聞いていたので、まだ妊娠初期で血液量もあまり増えていないであろう状態での1リットル越えの出血は、結構危ない状態だったのだろう、と、すぐ理解できました。
お医者さんたちも、冷静に対処しているようにみえましたが、実際は想定外の大量出血で結構驚いたようでした。もともとは、手術後はしばらく休んで、その日のうちに退院の予定でしたが、念のため、もう1日入院して様子を見ることになりました。
今回も、血液検査の結果、ヘモグロビン値等がそこまで落ちていなかったので、輸血無しで鉄剤の服用だけで乗り越えましたが、もう次、出産する時も大量出血が起こる想定で鉄分は多めにとって備えようと心に決めました。
血の気が多いのか?
大量出血後、私が一番気になったのは、「手術後はお昼ご飯のはずだったけど、、、この状態でご飯食べさせてくれるんだろうか。めっちゃお腹すいたんだけど(;^ω^)」でした(←悲しいかな、こんな時でも腹は減る)。
なんせ、朝食抜きで、手術は予定外の出血で長引いてしまい、その時点でもう14時とかで…分娩台の上でしばし安静にしなきゃいけなかったのですが、友人に「手術終わったけど、お腹すいた…」とLINEしていました(;^ω^)
さすがに、術後すぐに「お昼ご飯を食べてもいいですか…?」と聞くのはどうかと思いましたが、あまりにお腹がすいて、夕飯までは持たない(病院のご飯はただでさえあっさりしているのにw)と、恥をしのんで聞きました(;^ω^)
お医者さんが止血具合の最終チェックに来てくれたタイミングで「お昼ご飯って食べていいんでしょうか?」と聞いたら、「食べられそうですか?なら、病室戻って、お食事にしましょう」と、許可がでました(めっちゃうれしかった。笑)
病室でご飯を食べ終わって(もちろん、完食)も、いろんな管にはつながれたままで。しばらくはふらつくだろうから、トイレに行きたい時や、立ち上がりたい時はナースコールをしてくださいと言われました。
でも、私の感覚としては、うーん、普通に歩けそうだけどなぁ、出産の後より全然大丈夫だけどなぁ…という感じ…トイレに行くタイミングで看護師をよんで歩いてみましたが、やっぱり、普通に歩けて。
その後も、特にふらつくことはなく、普通に動けていたのですが、一応、当日は、トイレに行くたびにナースコールを押して、見守ってもらうよう言われました(;^ω^)
めんどくさいなぁ、と思いながらも、言いつけを守って毎回よんでいたら、来る看護師、来る看護師、皆「え?ぱんださん、すごい、ふらつかないんですね??え?1リットル以上出たんだよね…元気でよかったぁ」と言うので、「血の気が多いんですかねぇ」と返すのが鉄板になっていました(;^ω^)
流産手術費用と下りた保険金
そんなこんなで1泊2日の流産手術入院の予定が、予定外に2泊3日となりました。手術と入院は、日数に合わせて医療保険が下りるので、持ち出しは特にありませんでした。
手術費用と入院費用は、5万5,520円(払戻金があり、実質2万5千円)で、
それに対して下りた保険金が、15万円。
合計で、12万5千円のプラスになりました。
その後、術後の経過を見るための受診や、検査等の出費もあるので、実際のプラス料金はもっと少なくはなりますが、入っててよかった医療保険、つけててよかった女性疾病特約、でした。
もちろん、流産手術自体は、心身ともに辛いことではありましたし、これでお金がプラスになることよりも、赤ちゃんが生きててくれるほうがいいです(あたりまえだけど)。お金で癒えるような痛みではありません。それでも、入院費用の心配をしなくていいという安心感があるのは、余計な不安を増やさなくていいという点でとてもありがたかったです。
これから不妊治療をすることを検討している方や、妊娠、出産を予定している方には、本当に医療保険にしっかり入っておくことを強くお勧めしたいです。「100万円損するかも!?コレ、確認した?」の記事にも書きましたが、私は、これまでの不妊治療や出産、流産手術で総額100万以上の保険金をいただいています
支払った保険料の3倍以上、給付金がおりているので、本当の医療保険様様です。保険については、「100万円損するかも!?コレ、確認した?」の記事に詳しく書いていますので、よかったらそちらもご覧ください^^
流産手術から1年たった今思うこと
このブログを書いているのは、2024年の1月下旬、実際に流産手術をしてからもうすぐ1年というところです。ちょうど、去年の今頃、無事、10週をむかえて、不妊治療クリニックを卒業し、その10日後の妊婦検診で心拍停止がわかりました。
2023年の夏に体外受精を再開してから、採卵3回、移植2回しましたが、2024年1月時点でまだ妊娠には至っていません。実は、このブログを書いている日の翌日は、流産後、3回目の移植を予定しています。
次の妊娠をする前に、流産手術のことをきちんと文字にまとめておきたいと思い、この記事を書いています。
流産後の検査や妊活再開
この1年を振り返ってみると、手術後も数カ月、術後の検査等があり、体外受精を再開するまで結構時間がかかりました。流産手術が2月、その後採卵が5月、移植が8月と、次の移植まで半年近くかかりました。
2023年の流産手術から妊活再開やその後の妊活の状況は、「2023年の妊活まとめ」の記事に書きましたが、流産手術後に、侵入奇胎(癌化の恐れがある)や、子宮にできもの疑い(これも癌化の恐れあり)、帝王切開瘢痕症候群の疑い(これは、妊娠したら子宮破裂のリスクがある)、と、次から次へと不安なことがありました。
結果的に、どれも、疑いはもちあがったものの、精密検査をして大丈夫だということがわかりました。そのたびに、「こんなにリスクがあるのに、お前はそれでも子どもがもう一人欲しいか?」と、試されているような気がしました。
ただでさえリスクの高い高齢妊活、高齢出産ですが。癌や、子宮破裂(これは、赤ちゃんどころか母体の命そのものが危なくなる)という、自分とは遠いところにあるとおもっていた恐怖が、紙一重ですぐ近くにある存在かもしれない、出産とは、本当に命がけのものだと改めて感じました。
体外受精で授かり、すくすくと育っている第一子のためにも、私はまだ死ぬわけにはいきません。もし、致死率が現実的に高いような状態にあれば、もう第2子はあきらめると思います。
第1子が授かれただけでも、十分じゃないかと、第1子妊活前の私なら思うでしょう。それでも、まだ可能性があるうちは、あきらめたくない、あきらめられないというのが、この1年、流産手術やいろんな検査を経験しながら思ったことです。
お空にかえった子のとらえ方
このブログを読んでいて、もしかしたら、流産になった赤ちゃんに対して、私がドライというか、冷たいという風に感じる方もいらっしゃるかもしれません。
他の経験者の方のブログや、SNSを見ていても、私の悲しみの受け止め方は、多くの日本人とは違うかもしれない、と感じるときがあります。それは、私が、クリスチャンであることと関係していると思います(なので、西洋のキリスト教文化圏の人の感覚のほうが近いように思います)。もちろん、西洋人やクリスチャンにもいろんな考え方があるとは思いますが(;^ω^)
私がクリスチャンになったのは、23歳の時(なぜクリスチャンになったかを話すと長くなるので、ここでは省きます(;^ω^))なので、そこから考え方が変わったという感覚はあります。
私は、流産になってしまった赤ちゃんに対しては、もともとそうなる運命だった子、という風に、医学的にも、信条的にも納得しています。産んであげられなくてごめんね、という気持ちは全くなく、この子は、私のお腹の中に数カ月宿り、そして天にかえっていく運命だったのだ、と思っています。
なぜ、そんな悲しい思いや、身体的にも辛い思いをわざわざ神様が私に与えたのかはハッキリは理解できません。でも、きっと、この出来事も意味があっておこっていることだと、1年前も思っていましたし、今も思っています。
もちろん、私の思いとしては、あの子にも無事生まれてきてもらい、一緒に生活したかったです。でも、あの子は、今、天国で幸せに暮らしていて、私たちに何かを伝えるために短期間だけお腹に宿ってくれたのだと思います。
この考えが根底にあるので、流産はショックではありましたが、常にどこか冷静に受け止めていたのかなと思います。流産のとらえ方は人それぞれですし、これが正解だというものはないと思いますが、私自身は、お空にかえった子に対して、かける言葉は、「ごめんね」ではなく、短期間でも来てくれて「ありがとう」だと思っています。
流産手術から1年近くたったいま、思うことは、あの経験をしたことで、いろんな人の痛みを多少は想像できるようにはなったかな、ということです。化学流産や初期流産、後期流産や死産、生まれた後に子を亡くす、、、そして、何回もそんな経験をする方もいらっしゃいます。
そして、不妊治療以外の悲しみや辛さに対しても、想像力を働かすようになれているのかな、と思います。
人それぞれ、いろんな悲しみを抱えていますし、どれが一番辛いといったようなことではないと思います。人の悲しみを、完全に理解することはできないけれども、不妊治療や流産を経験したことで、今辛い状況にいる方に対して、想像力をもって接するようにはなっているのかな、と思います。
長文の上、まとまりのない終わり方になってしまいますが、私のこの経験を読んで、多少でも慰められる方がいたらいいなと思いつつ、これを書くことで、私自身の心も整理できたように思います。
1年かかってやっと?気持ちを昇華する記事をかけたので、明日の移植で、レインボーベビーがやってきてくれることを期待‼
(おわり)
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